嫌いになれない

理学療法士でギターリスト

2020.04.17. UP
林 伸浩
【1976年・神奈川県出身】
Writer Profile
高田 滋吉

Written by

Shigeyoshi Takata

Photographer Profile
林 伸浩

Photograph by

Hayashi Nobuhiro

直感を信じ、パチンコ屋でバイト

就職活動が差し迫る大学3年の夏。林さんは、学内の就職相談室にいた。工学部で化学を専攻していたが、研究職になる自分を想像できなかった。それよりも人と話して関わる仕事。漠然とした希望を抱きながら、仕事図鑑をめくっていた。

「理学療法士」
そのページを見た瞬間、コレだ!!って!

根拠は全く無かった。専攻とも全く異なる分野。普通の学生なら興味は持っても現実的な進路は別、と頭を切り替えるところだろう。だが、林さんは真逆だった。

目指す道が、見えたんです!

そう直感したから、すぐ
大学中退しようと思って(笑)

その意志を両親に伝えると、当然に反対された。

「理学療法士の、何を分かって言っている?
  寝ぼけたこと言う前に、大学を卒業しろ!」

一喝され、大学中退は断念した。が、理学療法士の道を想い続けた。4年生になっても就職活動は殆ど行わず。卒業するため、いったん研究に集中した。そして、卒論の目処をつけた夏の終わり。知り合いもいない総合病院に、林さんは電話をかけた。

この目で確かめたかったんです。
理学療法士が働く、生の現場を。

見学させて欲しい、とお願いし
なんとかOKを取り付けました。



リハビリ室に入った林さんが目にしたのは、患者と理学療法士。何組かのペアだった。それぞれにコミュニケーションを取りながら、自由に動かせない身体と向き合っていた。地道な反復訓練に、集中して取り組む患者さん。その真剣な眼差しをじっと見つめ、そばで支える理学療法士。

患者さんと理学療法士。

その眼差しの交わり、 伝わってくる関係性に

私は、心が震えました。

林さんの直観は、確信を得た。
やっぱり、やりたい仕事はコレなんだ。
将来、自分はここにいる!そう決めた。



覚悟を決めてからが、苦難の始まりだった。
学費を稼ぐため、予備校が無い土日は朝から夜までパチンコ屋で働いた。学費の高い私立はあきらめ、国立の専門学校を目指した。が、国立の競争倍率は、私立の10倍超え。想像以上の難関だった。

大学の同級生や合唱団の仲間たちは
みんな就職し、社会人になっている。

でも自分は、何者でもなく
どこにも所属できていない。
言い知れぬ不安感、との戦いでした。

浪人の夏を過ぎた頃には、体重が6kgも減り、痩せこけた。将来への不安も募り、心身ともに疲弊していった。自らを追い込むように努力する、そんな林さんを救ってくれたのは、両親だった。

学費の一部は、後払いで良いから
悔いを残さず、挑戦してみろって。

そこからは、勉強に
集中させてもらえて。
本当に、ありがたかったですね。



余談ですけど

当時、4年間付き合った
彼女がいたんですけど。
フラれました(笑)

いやぁー、向こうは社会人だし
住む世界が違ったんでしょうね(笑)

理学療法士の夢を抱いて、2年近くが過ぎていた。直感から抱いた志は、周りから共感されなかった。それでも自らを信じ、夢を貫き通した。そして、2000年3月。念願の国立専門学校から、合格通知が届いた。暗闇をくぐり抜け、夢への道に辿り着いた瞬間だった。



専門学校生活は、希望に満ち溢れていた。同級生は年齢も経歴も多様な人たちで、林さんの世界はさらに広がった。学生寮に入居し、同じ志の仲間たちと寝食を共にする中、新たな楽しさを発見した。それが、ギターだった。

学園祭で、寮の先輩が奏でるギターに憧れて。大学合唱団で嗜んでいた歌と合わせて、弾き語りが林さんの趣味になった。一年後の学園祭では、100人以上の生徒の前で披露した。

良かったよー!って
皆が言ってくれて、嬉しかったですね。

充実の3年間は瞬く間に過ぎ、26歳。念願の理学療法士として、静岡の山奥にある大学病院に就職した。

林 伸浩  Hayashi Nobuhiro
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