不器用な個性に勇気を与える

会話下手な美容師

2020.04.11 UP
吉澤 智洋
【1989年・東京都出身】
Writer Profile
松下 涼

Written by

Matsushita Ryo

Photographer Profile
吉澤 智洋

Photograph by

Yoshizawa Tomohiro

会話下手なまま、美容師になる

髪型を変え、少し自信を持ち始めた吉澤さん。だが人と話すことは苦手なまま、高校でも友達は出来なかった。そして大学受験を迎えると、将来について思い悩んだ。

大学に行って、就職したって。

ずっと、誰とも仲良くなれず
ずっと、楽しくないんだろうな・・・

悶々と悩み続けた末に、吉澤さんは開き直った。コミュニケーションで苦しむのは、もう沢山だ。いっそ「コミュニケーション」が強制的に求められる仕事に就いて、自分を変えてやろう。そう思い至ったら、2つの職業だけが思い浮かんだ。

1つは、お笑い芸人(笑)
もう1つが、美容師でした。

中学の時、初めて行った美容師さん。
あの優しい接客を、ずっと覚えてて。

あえて、棘の道に進むこと。それこそが、人生を変える唯一の道と思った。“ 死ぬよりマシ ”と苦労を覚悟で飛び込んだ。美容専門学校で技術を学び、美容院「AVENIR」に就職した。



初日から、店の奥で泣きました(笑)

働き始めてからのコミュニケーションに、吉澤さんは更に苦しんだ。例えば、接客業の基本的な挨拶「いらっしゃいませ」という言葉すら、吉澤さんはまともに声を出せなかったのだ。

大きな声を出せるようになろうと
発声練習にまで通いました(笑)

歌手や役者などが発声練習に行く、渋谷のスタジオに月数万円の会費を払って通い続けた。自宅の千葉から往復3時間もかけて、通った期間は1年以上。そこまでしてでも、吉澤さんはコミュニケーション力を身に付けたかったのだ。いや、それ以前に声が出せるようになりたかった。

同時に、美容師としての技術も必死で磨いた。美容院の営業時間が終了すると、毎日3~4時間は店に残って技術練習に費やした。同僚たちが帰宅した後も、終電間際まで独りでマネキン相手のトレーニングに没頭した。



ヤバい奴だと
思われてたんじゃないかな(笑)

それでも吉澤さんは、いつしか周囲の目が気にならなくなっていた。練習すればするほど、少しずつ腕が上がってくる手応えを感じ始めた。そうなると、さらに技術練習にのめり込んだ。

特に、パーマやカラーなどの派手なヘアメイク以上に、はさみ1本の腕が試されるヘアカットの腕を磨き続けた。



「手仕事」って言うんですかね。

ハサミ1本、自分の指先ひとつで
人の姿を変えられる。

その魅力を、徐々に感じていきました。

「手仕事」に没頭する内、吉澤さんは無理に会話をしなくなっていた。それでも、お客様に喜ばれる自信が付いてきた。そして、ボイストレーニングに通わなくなった入社4年目。他の同期アシスタント達より先に、お客様をメインで担当する「スタイリスト」に任命された。

吉澤 智洋  Yoshizawa Tomohiro
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